コレスポとは

  1. なぜ『ライプチヒ』なのか?
  2. 歴史背景
  3. 東独が残した膨大な科学的成果
  4. 私たちの活動
  5. 理論的研究から実践的交流まで
  6. 本会の発足・運営等について



なぜ『ライプチヒ』なのか?

今、国際的にスポーツ競技力をみるとき、コンディション(エネルギー系要素)に関しては各国とも科学的研究が進み、その能力差が僅少になる傾向を示しています。
その分、優劣を決する要素はますますコオーディネーション(情報処理系要素)の能力差に依存してきていることが言えると思います。
日本では古くから、武道を起源とする「心・技・体」という言葉が用いられ、競技力発達のシステムが簡潔にして見事に表現されていますが、特にスポーツにおける「心=中枢」」の作用の部分はまだまだ解明されていないのが現実です。 それに対し、ライプチヒ学派では、その課題に対する答えを「情報とエネルギーの一体性」という表現にまとめています。
特にドイツ圏では、旧来のトレーニング分野に並列的に「コオーディネーショントレーニング」というカテゴリーを分類し、競技スポーツにおいても、また障害者スポーツ、高齢者の健康スポーツなどにおいても一般化しているのです。 そうした歴史的背景を覗いてみると、ほぼ全て旧東独・スポーツ科学にたどり着くことが出来ます。
この研究は、とくにライプチヒを中心に1960年代にすでに開始されており、実践をとおして、理論の体系化が進んでいったのです。

歴史背景

そもそもライプチヒスポーツ科学の歴史は長く、戦前のワイマール共和国の時代にさかのぼります。
ドイツにおいて最初のスポーツ学教授職が設置されたのも、ライプチヒ大学でした(1925年)。
ちなみに、ライプチヒはドイツサッカー協会発祥の地でもあります。その後、東ドイツ建国の翌年(1950年)、スポーツ単科大学としてDHfK(略称:デー・ハー・エフ・カー)が設立され、それ以降、ドイツ統一(1990年)に至るまで、トップスポーツ指導者はほぼ全てがここで養成されていきました。
その伝統は現ドイツにも引き継がれ、ドイツでは、スポーツ教員の他、競技スポーツ指導者の資格が得られることも当大学の特色です。また、DHfKは日本のスポーツ科学の基礎ともなったクルト・マイネル教授著『運動学』としても世界に知られています。
現在においても、彼の学説は継承発展しており、一般的に「ライプチヒ学派」と称される所以でもあります。DHfKはドイツ統一の荒波にもまれ、一時は閉鎖状態にまでなったのですが、1993年、ライプチヒ総合大学・スポーツ学部として再出発しています。さらに、ライプチヒには国立応用トレーニング学研究所(IAT:イー・アー・テー)がもう一つのスポーツ科学拠点として、ジュニアを中心とする競技者をサポートしており、日本の国立スポーツ科学センター(JISS)との間にも交流が進んでいます。

東独が残した膨大な科学的成果

1989年11月、ベルリンの「壁崩壊を契機として一気に進められた民主化は、それまで秘密のベールに隠されていた旧東ドイツ・競技スポーツの科学情報や指導経験の公開へと導いていきました。
その後、旧東ドイツスポーツが残した「負の遺産」は一掃され、「良き遺産の継続発展に向けた努力が行なわれました。ここ数年来、ドイツスポーツ界では、そのような「良き遺産」がしっかり再評価されて来ています。
その一例として、ドイツスポーツ連盟広報2001年7月10日発28号を通して、かつて旧東ドイツ各地に存在し、現在も一部存続しているタイプの「スポーツエリート校は、競技スポーツ発展に上可欠であり、全ドイツに広める努力の必要性を強調しています。そうしたドイツ最優秀校の一つとしてのライプチヒ・スポーツギムナジウムは、タレントを発掘育成する「一貫性指導」の好例を私たちに示しています。実は、旧東独はすでに1964年東京オリンピック直後、世界に先駆けて、「一貫性指導(競技力強化育成・長期システム)」の理論的体系化に着手しており、その後、そうしたシステムに基づき、個々のトレーニング理論や方法論が開発実施されていったのです。
その1例にすぎませんが、現在においても定説とされているグリコーゲンの機能的「超回復モデル」が世に出た当時、すでに東独ではあらゆる機能を統合化した「機能適応化システム」が存在していたのです。 ライプチヒ市は、2006年ドイツで開催されるサッカーW杯の試合開催地(計8ヶ所)の一つとして、計5試合(予選4、ベスト16戦が1)が予定されました。また、ライプチヒは、いわゆる「西」のケルンに対比すると、旧東欧圏のスポーツ科学に関する情報やネットワークの中心地でもあります。

私たちの活動

2003年2月19日から3月3日までの間、初の試みとして、ライプチヒ大学にて、同スポーツ学部主催「競技スポーツ科学国際集中講座」が日本からの受講者17吊を対象に開催され、予想をはるかに超える情報や経験を獲得することができました。
この企画は年に1度定期的に開催されています。現在のところ、これほど多岐にわたるテーマについてそれぞれ質の高い講座内容を提供できるコースは他に例がありません。また、国立応用トレーニング学研究所からの協力やその他多くの個人的な協力の下に、さまざまな文献や資料を分析し、補足の聞き取り調査をおこなっています。
この種の科学研究調査は、少なくても10年は必要であろうと思います。
これまで、日本国内においても個別的にあるいは個人の努力を通して、旧東ドイツ・旧東欧圏の科学的情報知識などが紹介されており、交流が進められてきました。
しかし、今後、未来に向けてのより深い交流などを想定するとき、個人の力ではその任を十分に全うすることは困難です。
本会のような組織を構築して、より幅広く情報を発信し、実践指導活動や学術研究などを刺激するような情報を会員相互が共有し、日本に広く紹介することは、現在の体育・スポーツ界にとって有益であると思われます。またそれらが、日本の環境や条件に「批判的に応用」されるならば、日本の各スポーツ分野の発展に貢献してゆくことになるでしょう。
本会の活動を通して、新しい発見や新鮮な経験を共有することによって、会員それぞれの活動や学業などの向上に刺激となるよう願っています。

理論的研究から実践的交流まで

将来、本会の交流活動は当ホームページを軸にさまざまな形態で実施されていくでしょう。
既述の理論的な活動以外にも、現にこれまで、サッカーやハンドボールなどの球技系や陸上競技などの選手たちのスポーツ留学、さまざまな合宿や遠征団の企画、また、専門家視察団の派遣企画、優秀な指導者らの日本招聘企画など実施してきました。また、競技スポーツからのノウハウを中高齢者の健康維持に応用するという企画もおこなっています。
私たちは、大学関係者はもちろんですが、とくに小中高校の体育教員やさまざまなスポーツ団体の指導者、スポーツ関連企業など、スポーツの理論と実践双方にわたる幅広い層からの参加を期待しています。
というのも、ライプチヒのスポーツ科学は実践志向型の科学である以上、スポーツ現場に有益な情報や企画を提供できることが私たちに課せられた任務だからです。

本会の発足・運営等について

本会は、2003年10月10日に発足しました。
本会の運営は事務局が担当しますが、会員それぞれに会の運営発展の成否がかかっていることをご理解ください。
会員がそれぞれの関心や可能性の度合いに応じて、運営に協力していただくことが前提です。ただし、可能性の範囲内においてということですから、大きな関心を持つこと自体が協力の一つのかたちでもあります。言わば、会員は「運営役員としての権利と義務を有している」とも言えます。
情報の発信や交流などは主にホームページを介して進められますが、とくに情報発信の質と量の充実などが進み、本会が全体的に安定化するまで、当分の間、会費は無料とします。