旧東独の極秘資料『競技スポーツの理論と実践』
2019.04.11
綿引さんの連載「東独トレーニング学を読む」(コレスポ図書館にて掲載中)は、旧東独の科学がいかに先進的であったかをうかがい知ることができます。何といってもいたるところで「哲学」を感じますね。「競技スポーツの理論と実践」(A5版程度の冊子、主に隔月刊、写真参照)は全てナンバリングされ、読者は主にトップ指導者・研究者たちのみに対象が限定され、読み終わったら返却するという管理を徹底することで秘密を保っていました(当然、ライバルであるソ連に対しても)。全冊子(全バックナンバー)を保有しているのは、世界で、現IAT(ライプチヒ応用トレーニング研究所)とスイス、そして綿引さんの手元の3か所のみとされています。ちなみにその他、膨大な数の科学論文も1990年ドイツ統一後に公開されましたが、なかでも競泳関連の論文だけを真っ先に入手したのがアメリカの競泳関係者で、その次に幅広い収集作業を開始したのが私たち(綿引さん)だということをIAT関係者から聞きました。
「哲学」を感じるという話に戻ります。その例はいたるところで気づくのですが、たとえば、コオーディネーショントレーニングの原則(ハルトマン)の第1番目に、そのトレーニングは身体エクササイズであるというくだりは当たり前のことであるがゆえに、なおさら意味が深いですね。「説明や前口上はいらない、選手自らが動くことで感じ取る(感受する)ことが肝心」と言っているように読み取れるのです。ここで想い起します。カヌー・カナディアンのドイツ・ポツダムのブレンデル選手(オリンピック2連覇。2020東京で3連覇を目指している)が来日して(2017年ころ)九州のジュニア選手たちを指導しましたが、ジュニア選手たちからのテクニックについて具体的な質問(確か膝を置く位置はどこがベストかという問い)が出ましたが、彼はいきなり、「そもそもテクニックなんて存在しないんだよ。もしあると仮定して…君が一番気持ちよくしかも確かに感じ取れるのが君の最良のテクニックだ」。さらに、身体でどの部位がいちばん疲れるかという問いについては、「普段のトレーニング中は頭が、試合では腕が疲れる」という回答でした。そう、テクニックは、トレーニングに都合良い表現ですが、ある種の一般化・抽象化された概念で、「見本」とか「目安」という類であって、存在しないのですね。そういえば、ケムニッツの三段跳び跳躍のトップコーチ、マルシュ氏は、「50人いれば、50通りのテクニックがある」とも言っていました。スキル(技能)は存在するということなのでしょうか。ドイツ語ではFertigkeit(フェラティッヒカイト)と言い、意味は熟練性。いかにもドイツ職人らしいです。