ドイツの”見えない皇帝”

2019.04.24

マルクス・ガブリエル(哲学界の”ロックスター”、ドイツ人)の言葉がどうも気になるので続けて紹介しましょう(TV番組より)。

石黒教授(大阪大。ヒューマノイド=人間型ロボット開発)の研究室にて…
人間とロボット(AI:人工知能)の境界はなくなるか? 
「そうはならないし、試すことすらすべきではないと思う。なぜなら、私たちの倫理的価値の土台は進化上の祖先にあるからです。”私たちは猿だ” というのが倫理の源です」。
技術の進歩が人間性を損なう? 
「そうではない。人間性はその度合いが減ったりするようなものではない。人間性とはすなわち動物であるということです。人間という種は本質的に10万年間は変わっていない。だが、動物であることは変わらなくとも、技術によって私たちの自己像は変わる。技術の進歩への適応は自己認識を変えてしまう。つまり、ロボットを通して自分たちを理解するようになった、それが私たちの倫理と行動様式をを変えてしまうのです」。
このヒューマノイドという概念について、ドイツ人は他の欧州諸国と違い、理解できないように思うが? 
「やはり、ロボットには心が無いように感じる。ドイツ憲法の最初は、”人間の尊厳は不可侵である”(カント)と唱っています。ドイツの暗い過去の経験から導かれています…ドイツには”見えない皇帝”がいます。哲学がドイツの”見えない皇帝”なのです」。

別の訪問先にて…もし、世界がないなら、どのように合意形成する? 
「まさに”全体”がないからこそ、重なり合いが成立する。たとえば細胞について考えてみると、細胞もまた”意味の場”ですが、細胞には一定の遊び、自由があります。そうした細胞たちが重なり合って新しい構造体を変化することができる、なぜなら、細胞同士の動きを上から統合するものなどなく、そして融合を阻むものもない。全ての構造はローカルなものです。だから何も問題なく重なり合うことができる…私の考えは西田幾多郎(1870-1945)に近いという人がいます…”動物から人間に進化したといっても、人間は動物でなくなったのではない。…そして人間は絶対矛盾的自己同一に面する”」。

とりあえず以上紹介しましたが、動作学・トレーニング学にも相通ずるものがあるような気がするのです。
ライプチヒ講座で扱われている学習理論テーマ「モーターアプローチvsアクションアプローチ」はとくに関連していると思うのですが…。
皆さんからの投稿で、補足などしていただければ嬉しいのですが…。

お願いします!

(高橋)