人間とシステム:静寂が叫んでいる
2019.05.11
ふたたび、東京都心にいるマルクス・ガブリエルのことば(TV番組より):「パーフェクトだね…でも、人がシステムのための部品のように感じる。人とシステムが逆転している。”シンギュラリティ”(AIが人知を超える…未来学、カーツワイル)はすでに30年前に起きていた。ずっとテクノロジーが人間を使ってきた。…日本には2つのものが混ざりあっている。秩序の下にある静けさ、そしてクレイジーな混沌だ。表面は静けさを保っているが内心は穏やかじゃない。…こんなに素晴らしい文化や経済的・政治的な達成があるのに…でも間違いなく抑圧的だ。”悪”には2種類あるとシェリングが言った。トランプのような、構造を破壊する”混沌的な悪”…もうひとつ、”構造に宿る悪”もある。あまりにも完ぺきな秩序は悪なんだ。…あまりにも高い効率性の中では、人々は抑圧される。東京の電車内でも人々はスマホに逃げ込んでいた。効率性が自らを追いつめている、強制されてもいないのに自らそうしているね」。
スポーツ・トレーニングにおいても、システムがあります。ドイツにも、例えば長期育成システムとかトレーニング計画ガイドラインなど、じつに多くの”システム”があります。そして多くの場合、それをうまく使いこなしている。以前の投稿で述べた「テクニック」のように捉えているからだと思うのです。育成システムは、”ビッグデータ”を駆使して基準や標準を提示し、実際には非常に多くの指導者にとって役立つものです。しかしかれらの実践の中で現実(選手個人の状態)との乖離が生じてしまう。その原因は、”システム”は世界と同様に現実ではないからです。あまりにも個人差(個体差)があるからです。それでも、システムは現実的に機能しています。こうした矛盾に耐えることが優秀な指導者(職人)に必須事項ではないかと思うのです。
かなり前のことですが、ドイツのある指導者のことばが今でも忘れません。「鉄道列車の時刻表はそこに記載されている時刻に列車が発着することを知るためではなく、実際とどれくらい発着が食い違うかを知るためにある。われわれの仕事も同じこと。…そうした経験知を積み上げることが大事なんだ」。だからこそ、ライプチヒ学派の教科書タイトルは「トレーニング科学」だけではなく、「トレーニング論(経験知)-トレーニング科学(科学知)」と併記しているようです。その経緯は綿引さんが詳しくご存知です。(高橋記)